高校生の時、冬期札幌オリンピックがあった。アメリカのフィギュアスケート選手ジャネット・リンがジャンプの着地に失敗して転んだ直後、にっこりと笑顔で立ち上がって演技を続けた。当時のマスコミは彼女のことを「メダルは銅でも、笑顔は金!」とたたえた。札幌の大学に入ったある日、廊下を歩いていると、あのジャネット・リンの顔写真が大きく載ったポスターを見つけた。「ジャネット・リンと共に福音を聞こう!場所:札幌市民会館大ホール」とある。「キリスト教はジャネット・リンを使って人集めする」とも思ったが、会ってみたかったので三日間の集会に毎日参加した。

市民会館ホールには大勢の人が集まっていた。ジャネット・リンが信仰の体験談を話した後、牧師が聖書から十字架上のキリストの祈り「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないでいるのです」について語り、キリストを受け入れる人を招いた。恐れや疑う気持ちがあったが、ジャネット・リンを近くで見たい思いもありステージに上がった。 

その後、下宿で集会の録音テープを聞いていた。そんなある日の夜、布団に入り眠ろうとしたが眠れなかった。ジャネット・リンが信じている神というものは実在するのか? 布団の中で横になったままこう言った。「神さま、もし神がいるならいることを示してください!」それは、心の底からの真剣な叫びだった。「もし、神が本当にいるのなら応えてくれるに違いない」と思って眠ろうとした。なんと、神はすぐ応えてくださった。まず、小さい頃から犯してきた私の罪をお示しくださった。隣の家の子が落としたバッチを拾って黙って自分のポケットに入れた事、家の近所の本屋に売っていた漫画の表紙を破って隠して持ってきたこと等、もう十年以上も前のことで、とっくに忘れていた(と思っていた)事実の数々。そんな罪を神はひとつひとつ思い出させ、そして、キリストの十字架をお示しになった。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないでやっているのですから」。その瞬間、私はキリストの十字架によって自分の罪が赦されたことを知った。涙があふれ、布団の上に起き上がり、「神様!キリストが私の罪のために十字架にかかって死んでくださったことを信じます。キリストを私の救い主として、今、心の中に迎えます!」と祈った。そして、眠りについた。

翌朝、目が覚めた時のことを、私は忘れることができない。「あー、今日から僕はキリスト者なのだ!」叫びたい気持ちだった。起きあがって部屋のカーテンを開けて驚いた。毎日見慣れていた外の景色が、何とまばゆく輝いていたのだ。その日、私は本屋や駄菓子屋の住所を調べ、お詫びの手紙を書き、自分がやってしまったことを謝り償いをしたいと記した。キリストを罪からの救い主として心に受け入れた事も書いた。数日して一通の手紙が来た。「今はもう店も閉じ、孫と元気に暮らしています。野村さんも元気にお過ごしください。」という内容だった。私はそれまで引きずっていた良心の呵責と自分の犯した罪から解放され、それまで味わったことのない喜びと平安を知った。神との和解をいただき、神と共に歩む人生がスタートした瞬間だった。 私の心に空いていた空洞はそれ以来満たされている。47年が経った今もつい昨日のように心が熱くなる。神が共に歩んでくださる恵みは日々増し加わっている。