「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」 (イザヤ43・4)
このすばらしいみ言葉がわたしたち一人一人に直接語りかけられているとは、何という喜びでしょうか。
私たちの造り主 創造者が、私たちをこの世に生み出し生かしていてくださるそのお方がそのように告白していてくださいます。
この神様の愛の語りかけを、本気で受け止め本気で信じたなら、私たちの人生が変わらないはずがありません。
1.「わたしの目には」
①「人の目、世間の目」
世の中には人の目か私たちの周囲には、いろいろな目があります。
人の目から見た価値基準があって、その基準にかなわない者は生きている意味も価値もないという考え方が幅を利かせています。
そのために、ついつい人の目を気にし、人の目に捕らわれた生き方をするようになってしまいます。
悲しいことに、人の目からの価値を見出せない人が、いのちを断ったりしてしまうのです。
②「自分の目」
自分で自分のことをどう見、どう思っているかです。
自分のことが好きでしょうか。
自分のありのままを受け入れ、愛することが出来るでしょうか。
しかし、多くの人が、「人の目」をそのまま「自分の目」にして、世間が、人が言っていることをうのみにして、自分でもそう思ってしまうのです。
③「神様の目」
しかし、もう一つの目、神様から見た目があるのです。
人は、だれもが神によって生かされています。
そうであれば、生きていることそのものに価値があるのだということになります。
*「生きているだけで、まるもうけ。」 生きているだけで、それは、素晴らしい。
自分は生かされている、生かしていてくださるお方がおられるからです。
2.あなたは高価で尊い
現在、世界には76億近い人々がいて、私たちはその中のたった一人です。
考えて見れば、なんとも小さな存在です。
しかし、ここで神が「あなたは高価で尊い」と言っておられるのは、たとえ何十億の人がいても、神は、この私が地上のたった一人の存在であるかのように見て下さるということなのです。
さらに、「わたしを愛し、わたしのためにご自身をお捨てになった神の御子」(ガラテヤ2・20)とあり、神は、私を救うために神の御子のいのちを引き換えになさいました。
自分のいのち、一人一人のいのちの大切さは、ここから計られるのです。
「あなたは高価で尊い」とはどれほどのもの、どれほどのことであるかと言えば、それは、「神の御子、イエス・キリストのいのち」と見合うほどのものであるということです。
3.「わたしはあなたを愛している」
それもこれも、神がこのわたしを愛しておられるからです。
私たちを罪から切り離して、神のもとに立ち帰らせるのは、キリストを通して示された神の愛によるからです。
神の目から見た私、神に愛されている私を大切にしましょう。